2003/11/01

「モトコ先生の相談室」(君が望む永遠)



 ここは、欅町のとある病院のなかの一室。
 机の上には何枚かのカルテとコーヒーカップがひとつ置かれている。
 現在、部屋には誰もいない。しかし、先ほどまで人がいたのか、気配は残っていた。
 ほんの少し残っているカップのコーヒーから湯気が立ち上っていることも、それを指し
示していた。



 部屋の主、香月モトコは病院の屋上にいた。
 手すりにもたれかかり、屋上から見える病院の中庭をぼんやり眺めながら、白衣のポケッ
トからタバコを取り出して、火をつける。
 肺の中いっぱいに吸い込んだ煙をゆっくりと口から出しながら、大きく伸びをする。
「やっぱり屋上は気持ちいいわね。……そう思わない?鳴海君」
 屋上にはモトコの他にもう1人、青年がたたずんでいた。
「そうですね」
 その青年、鳴海孝之はそっけなく返事をする。
「それよりも香月先生。どうしてオレをここへ呼び出したのか、教えて欲しいんですけど」
「…………………………」
 返事の代わりに口からタバコの煙を吐き出す。
「オレ、帰ってもいいですか」
 歩き去ろうとした孝之の背中に、ようやくモトコが声をかける。
「別に」
「え?」
 怪訝そうな顔で振り向く孝之。
「特に理由はないわ。そうね、しいて言えば、タバコが吸いたかった……からだけど」



 10分後。モトコは孝之を連れて先ほどの部屋へと戻っていた。
「まあ座って」
「はあ、どうも」
 今から何が起こるかわからない不安を抱えながら、孝之は勧められるままイスに座る。
 同じく椅子に座るモトコ。机の上のカルテを整理しながら孝之に説明をする。
「あなたはそこでじっとしてなさい。今から何が起ころうと、動いたり声を出しちゃダメ。
わかった?私がいいと言うまでね」
 そう言うと、モトコは孝之の前にしきりのためのカーテンを引いた。
 孝之が座っているのは、来客用のイスではなく、どこにでもあるような折りたたみイス。
 そして、孝之が座っている場所は、モトコの後ろ。入り口のドアから最も離れた位置だっ
た。
「そろそろね」
 モトコのその声を待っていたかのように、ドアがノックされる音が聞こえた。



涼宮遙の場合。



「香月先生、こんにちは。
……はい、自宅療養に切り替わって1週間経ちましたが、身体の方は順調です。
これも先生をはじめ、看護婦のみなさま方のおかげです。
……え?元気がない、ですか?私、そんなふうに見えますか。
……そう、ですね。やっぱり先生には隠し事はできないですね、えへへ。
実は……孝之君のことなんです。孝之君、退院した後も以前のように優しくしてくれてます。
優しくしてくれてるんですけど、どこか違うんです。
もしかして私の気のせいかもしれないけど……。
私が眠っていた3年の間に何かあったのかなって。そう考えちゃうんです。
ダメ……ですね、私。
……………………。
はい、そうですね。私に出来ることは孝之君を信じること。それだけなんですよね。
ありがとうございました。香月先生にお話したらちょっと気持ちが落ち着きました。
妹の茜にはこんな話出来ませんから。
……はい。それでは今日は失礼します。
どうもありがとうございました」



 遙が出て行ったドアが閉まり、モトコは孝之に声をかける。
「どうだった?」
「ど、どうって何が……」
「あーまだ答えなくていいわ。答えは全てが終わってからでも遅くないもの」
「それって、どういう……」
 反論する孝之の声を遮るように、ドアをノックする音が聞こえた。
「静かにね。……どうぞ」
 前半は孝之にだけ聞こえるように、後半はドアの向こうの人物に聞こえるように、
モトコは返事をした。



速瀬水月の場合。



「お久しぶりです、香月先生。
……ええ、そうですね。遙が退院して以来ですよね。
あのときはすみませんでした。勝手に屋上に上っちゃったりして。
……はい。孝之とはあれから会っていません。もちろん、遙とも。
……え?そりゃ、未練はありますよ。今でもまだ孝之のこと、好きですから。
そう簡単に割り切れるわけ……ないですよ。
孝之と過ごした2年間のことは、忘れようとしても忘れられません。
むしろ、忘れちゃいけないんだって思うから……。
……………………。
それに、遙のことも私にとっては大事だから。
……だって私と遙は、親友なんですから。
……はい。ありがとうございます。
それでは失礼します」



 水月が出て行ったドアが閉まる。
 モトコはカーテンの隙間からそっと孝之の様子を窺った。
 孝之はうつむいたまま、身体を震わせていた。
 モトコは孝之には何も言わず、ドアの向こうに声をかけた。



涼宮茜の場合。



「こんにちは、香月先生。今日はどうしたんですか?
……え、お姉ちゃんの様子ですか?
さすがですね、先生。
実はお姉ちゃん、ちょっとだけ元気ないんですよ。
……心当たり、ですか?
うーん、なんだろう。お兄ちゃんにはやさしくしてもらってるし、ケンカしてるわけでも
ないし……。
せっかく私が身を引いたんだから、お姉ちゃんとお兄ちゃんには幸せになって
もらわないと……。
……え?私何か言ってましたか、先生。
……そうですか。よかった~。
とにかく、私の方でもお姉ちゃんについて気をつけてみますね。
妹の私がしっかりしてないとダメですよね~。
……はい。それでは香月先生、失礼します」



 ドアが閉まり、部屋には静寂が訪れる。
 5分ほど経過して、カーテンが開かれた。
「もういいわよ、鳴海君」
「……はい」
 まっすぐモトコの顔を見る孝之の目には、真新しい涙の後がついていた。
「涼宮さんは診察の都合もあるんだけど、実は速瀬さんも涼宮さんの妹さんも
時々相談されてたのよ。涼宮さんのことだけじゃなくて、いろいろね」
 そう言って、モトコは孝之の目をじっと見る。
 さすがの孝之もその言葉の意味がわからないほどにぶくはなかったようだ。
「あなたが選ぶの。ほかの誰でもないあなたが。
時間は永遠にあるように思えても、チャンスは少ないのよ。
後回しにすればするほど、つらくなることもある。
前にも言ったわよね。
『時間が一番残酷で……優しい』って。
今のあなたになら、それがよくわかるはずよ」
「はい……。ありがとうございました」
 孝之はモトコに一礼して部屋を出て行った。
「やれやれ、一番手間のかかる患者さんがようやく退院したかな」
 モトコは満足げに呟くと、また屋上へと足を向けるのだった。



なお、当たり前のことですが、このお話はもちろんフィクションで、
実在の団体や「君が望む永遠」本編とはまったく関係ありません。
……多分。おそらく。



あとがき



PCゲーム「君が望む永遠」のSSです。
香月モトコの聖誕祭記念です。
ちょっといつもと違う感じにしてみました。
実ははじめての3人称だったような(笑)
それではまた次の作品で。



��003年11月1日 香月モトコ先生のお誕生日