2004/08/27

「決心」(君が望む永遠)



 空はとてもきれいな青色。雲はひとつもなく、済みきっていた。
「今日は洗濯物がよく乾きそうだわ」
 洗ったばかりの洗濯物を丁寧に干しながら、水月は呟いた。
 天気がいいからだろうか。その声はとても弾んでいた。
「よしっ、これでラストね」
 最後の洗濯物を干し終えた水月は、額ににじんだ汗を手でぬぐった。
 まだ夏と言うには早い時期だが、気温はすでに夏そのもの。
 プールで思う存分泳ぎたいな…と思うのは、ごく自然な考えだと言える。



 でも、たとえプールに行っても、昔のように泳ぐことはもう、ないんだ。



 そう考えると、少し寂しい気持ちになる。
「でも、これは私が選んだことだから」
 しっかりとした口調で自分に言い聞かせるように、水月は呟いた。
「さってと! 買い物に行こうかな」
 少し沈んだ気分を打ち消すかのように、水月は鏡に向かって自分のトレードマークとも
いえるポニーテールを結い直した。



 じりじりじり。
 そんな音が聞こえそうな陽射しの中を、両手いっぱいに荷物を持って歩く。
「あ、つぅ~……」
 太陽で熱せられた地面からは、ゆらゆらと陽炎が立ち上っている。
 途中、喫茶店で涼んでいこうかと思う誘惑を振り切って、水月はようやく自分の部屋に
辿り着いた。
「はー、汗でベトベトだよ。シャワーシャワーっと」
 部屋のエアコンのスイッチを入れて、水月はシャワーを浴びにバスルームに入った。



 数分後、茹だっていた頭も冷水シャワーのおかげですっきり。部屋もエアコンのおかげ
で快適な温度になっていてさわやか。
 バスタオル一枚を身に着けただけの水月は、冷蔵庫からキンキンに冷えた飲み物を取り
出して、ごくごくっと一息に飲み干した。
「あ~もうっ、さいっこう!」
 先ほどまでのぐったり感はどこへやら。すっかり元気を取り戻した水月は、買ってきた
荷物の整理を開始する。
 食料品を最優先で冷蔵庫へ片付けた後は、日用品をそれぞれの場所へ。
 あらかた片付けが終わって残ったのは、何種類あるだろうか、たくさんのスポーツ新聞
だった。
「思わず全種類買っちゃったよ。まあ、孝之も読みたいだろうし、いいよね?」
 適当にひとつ取ってみる。まず最初に飛び込んできた見出しには、こう書いてあった。
『涼宮、アテネオリンピック代表決定!!』
 別の新聞には、
『涼宮茜、金メダル確実か?』
 といったように、どの新聞も茜のことでいっぱいだった。
「すごいよね、ほんと……」
 中学の頃は結構やるかな? ってぐらいだったけど、白陵に入ってからも茜はずっと水
泳を続けていたらしい。その努力もあって、ぐんぐん実力をつけて、白陵卒業と同時にア
メリカにスポーツ留学。
 日本とは比べ物にならないくらいの良い環境、良い指導者に恵まれて、さらにレベルアッ
プ。
 ここ数年、いろいろな国際大会に出場しては良い成績を納め、今回晴れて、アテネオリ
ンピックの代表に選ばれたのだ。
「それも私とおんなじ、100メートルの自由型だもんなあ」
 私が目標にしていたオリンピック。そして、果たせなかった夢……。



 私の代わりに、茜が夢をかなえてくれる。



 そう考えてしまうのは私の自分勝手な思い込みなのかもしれないけど、茜にはがんばっ
てほしいと思う。
 ひとつひとつの新聞を、時間をかけて丁寧に読んでいく。
 新聞に写っている写真の茜は、あの頃よりも凛々しさが増して、可愛さが増して、とて
も素敵だった。



 もう、何年茜に会っていないだろう?



 私から会いに行く勇気は持てなくて、今日までずるずると来てしまっている。
 時間は、痛みや悲しみを癒してくれるのかもしれないけど、最後の1歩は自分で踏み出
さないとどうにもならない。こればっかりは誰かに背中を押してもらうわけにはいかない
から。
 熱心に新聞の記事を読んでいると、ふとある記事に目が止まった。



「……あ……あかねぇ……」



 ぽたっ
 新聞の上に水滴が落ちた。
 それは、水月の目からこぼれ落ちた涙の滴だった。



『――私に水泳のすばらしさを教えてくれた先輩がいたんです。
私は、その人に追いつこうと、追い越そうとずっと努力してきました。
今回の結果はそのおかげだと思っています。
今でもその先輩は私の人生の目標です。
たぶん私は、今でもその人の背中を追いかけて、泳いでいるんだと思います……』



 孝之が帰ってきた。
 孝之も新聞を探してあちこちまわったみたいだったけど、やはり手に入らなかったよう
だ。
 私が買ってきた新聞を読むと、孝之も目を潤ませていた。
「そうだよ、水月――これ……」
 そう言うと孝之は突然、手に持っていた紙袋を私に向かって放り投げた。
「え?……なに……?」
 困惑しながら、私は受け取った紙袋を開いてみた。中には1冊の絵本が入っていた。



『ほんとうのたからもの』



 それが絵本のタイトルだった。そして、隅のほうに書かれていた作者の名前は、



『むらかみ はるか』



 ……はるか? …………はるか…………遙!?
「これ……もしかして」
「……ああ、多分」
 頷く孝之。私はもう1度表紙に目を落とす。
 遙が、描いた絵本だ。おそらく、たぶん。
 茜とも会っていなかったように、遙ともあれ以来1度も会ったことはなかった。
 お互いの気持ちに整理がつくまで。
 そんなきれいな理由ならまだよかった。
 私は、ただ遙に会うのが怖かっただけだ。
 病院であんな別れ方をしたから、なんてのは都合のいい言い訳にすぎない。
 遙ともう1度向き合うのが、私は怖かっただけなんだ……。
「そっか、遙……ちゃんと夢、かなえたんだ……」



 私は意を決して、絵本を開いた。



…………。…………………。



 ぽたっ
 絵本の上に水滴が落ちた。
 それは、私の目からこぼれ落ちた大粒の涙だった。



「孝之、私行くよ」
「行くって、どこに?」
「アテネ。アテネに行って、茜の応援をする。そして、茜と遙に会う」
 そう、私は決心した。
 私はアテネに行く。
 私は、遙と茜に会いに行く。



あとがき



PCゲーム「君が望む永遠」のSSです。
ヒロインの速瀬水月の聖誕祭用です。



実はこのお話、まだ続きます。
この後の「茜オリンピック編(仮)」と「オリンピックの後(仮)」の2場面分は
少なくとも書きたいと思います。
できれば28日に続きを発表したいところではありますが、さてどうなりますやら。
それでは、また次の作品で。



��004年8月27日 速瀬水月さんのお誕生日♪



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