2007/03/18

「まめまいて、じかたまる」(夜明け前より瑠璃色な)(エステル・フリージア)



業務報告~。
読み物広場に、SS「まめまいて、じかたまる」を追加しました。
「夜明け前より瑠璃色な」のヒロイン、エステル・フリージアのSSです。
先日まで連載していたSSをまとめたものです。
上のリンクからでも下のリンクからでも、お好きなほうから
どうぞです~。
上はいつものhtmlで、下ははてな仕様になります。





「まめまいて、じかたまる」(夜明け前より瑠璃色な)(エステル・フリージア)



 3度目となれば、もう慣れたものなのか。それともエステルさん自身が
変わったのか。1回目の多少緊張していた様子のエステルさんは、
もうそこにはいなくて、みんなと自然に話しているエステルさんが俺の
目の前にいた。
 エステルさんをお招きしての夕食も早3回目。エステルさんと出会った
頃の印象を考えると、これは奇跡に近いかもしれない。
 そう言うと、みんなは全然信じてくれなくて、モーリッツさんとカレン
さんだけが少しだけ申し訳なさそうに笑ってくれるのだ。
 でも、いいんだ。
 奇跡でもなんでも、こうしてエステルさんが楽しそうに笑っている姿を
見ながら食事が出来るんだから。



「どうしたのですか。今日はあまり喋っていないようでしたが」
 帰り道、白い息を小さく出しながら、エステルさんが尋ねてきた。
 満弦ヶ崎の冬もはじめてなら、地球の冬もはじめてのエステルさんは
かなり寒そうだ。これでも今年はあたたかいほうなんだけど。
「いえ、エステルさんもずいぶんみんなと仲良くなったなあ、と思って」
 俺がそういうと、エステルさんは頬を少し膨らませた。
「それはそうです。地球人に対するわだかまりがまったくなくなったとは
言いませんが、朝霧家の皆さんも鷹見沢家の皆さんも私に対してすごく
よくしてくれています。私が嫌う理由がありません」
 達哉にはそれがわからないですか、と問いかけているような目だ。
「そうですね。地球人も月人も、付き合ってみれば仲良くなれるんです」
「ええ」
 エステルさんは、にっこりと微笑んだ。



「ところで、ひとつ聞きたいことがあるのですが」
「なんですか?」
 弓張川を渡り、月人居住区へ入った頃、エステルさんが尋ねてきた。
「地球には『まめまき』という文化があると聞きました。達哉は
知っていますか?」
 俺は、『まめまき』についてひととおり知っていることをエステルさんに
話した。
「なるほど。豆を撒いて、鬼を追い払うのですね。教団に置き換えると
聖水のようなものなのでしょうか……」
 なんとなく、合っているようでいて、微妙に違うような気がする。
 あらためて考えると、行事の内容は知っていても、その意味までは
考えたことなかったな。
「ちょっと調べさせてください。俺もそんなに詳しく知っているわけでは
ありませんので」
 間違った知識を教えてしまっては、エステルさんに申し訳ないし。
「ええ。よろしくお願いします」
 とりあえず、学院の図書館に行ってみるか。
 家に戻りながら、俺は『まめまき』について考え始めた。



「こんにちは~」
 礼拝堂の扉を開けて挨拶すると、モーリッツさんがゆっくりと出てきて
くれた。
「おや、朝霧さん。こんにちは。エステルですね?」
「ええ」
「先ほど部屋に戻ったばかりですので、どうぞお通りください」
「はい、ありがとうございます」
 俺はモーリッツさんに会釈をして、エステルさんの部屋に向かった。
 その途中で、ひとりの女の子とすれ違った。リースだ。
「こんにちは、リース」
「……こんにちは」
 簡単に挨拶だけすると、微妙な間が出来た。
「……エステルなら、部屋にいる」
「そっか。ありがと」
 俺がリースの頭をなでると、少しくすぐったそうにしていた。



「ああ、達哉でしたか。どうぞ、入ってください」
 ノックをしてからエステルさんの部屋に入ると、俺は『まめまき』に
ついて調べたことをエステルさんに話した。
 といっても、2日ほど調べた割にはたいしたことはわからなかったのだが。
「すみません、お役に立てずに」
「いえ、達哉が私のために調べてくれたことが嬉しいのです。今回は
たまたま思った成果が出なかっただけでしょう」
 エステルさんはそう言って俺をなぐさめてくれた。
「要約すると、まめまきは節分という行事の一種で、炒った大豆を撒いて
鬼を払い、年の数の豆を食べることによって健康を祈願するもの、なのですね。
邪気払いと無病息災を兼ね備えた行事である、ということがわかっただけでも
よかったです」
 エステルさんは紅茶を出して、俺を労ってくれた。



「ところでですね、エステルさん」
 俺はエステルさんが入れてくれた紅茶を飲んでから、提案を持ち掛けた。
「……よろしいのですか?」
「ええ、でなかったらお話しませんよ。もちろん、エステルさんが
よろしければ、ですけど」
 ちょっと待ってください、と言って、エステルさんはカレンダーを見る。
「土曜日ですので、午後からなら時間が取れます。それでもよろしければ、
参加させていただけますか」
「わかりました。みんなに伝えておきますね。詳細が決まったら、電話で
お知らせします」



「……ということなんだけど、みんなはいいかな?」
 左門での夕飯を終えてのんびりした時間帯で、みんなに話を聞いてみたら、
全員からOKの返事をもらえた。
 いつもは忙しいさやか姉さんも、この時期はちょうど暇なんだとか。
 なにはともあれ、これで準備は完了だ。
「それにしても、どうして達哉はそんなに一生懸命なのかしら?」
 からかうような口調でフィーナが言う。
「それはもちろん、エステルさんに地球のことをもっと知ってほしいからに
決まってるじゃないか」
 俺がそう言うと、なぜかみんながあたたかい目で俺を見る。
「な、なんですか、その目は」
「いいのいいの、お姉ちゃんは達哉くんの味方だからね」
 と、よくわからないことを言って、俺の頭を撫で回す姉さんだった。



 そして土曜日。テレビの天気予報も全国の快晴を報じているように、
この満弦ヶ崎中央連絡港市も午前中からすかっとした青空が広がった。
「今日はお洗濯日和です~」
 と、にこにこなミアのお手伝いをして、昼はさやか姉さんと麻衣の
合作料理、春雨の春巻きを堪能した。
「まだ少し春には早いけれど、喜んでもらえてよかったわ」
 さやか姉さんも久しぶりに作った料理が好評でご満悦だった。
 食後に麻衣が淹れてくれた桃茶がこれまたおいしくて、特に桃が好物の
フィーナは文字通り桃源郷に旅立ったかのようにうっとりとしていた。
 俺は桃茶を飲み終えると、
「じゃあ、そろそろエステルさんを迎えにいってくるよ」
 と言って、立ち上がる。
「よろしくね、達哉くん。こっちの準備はもう出来ているから、いつでも
いいわ」
「うん、それじゃあ行ってきます」
 太鼓判を押してくれたさやか姉さんにお礼を言って、俺は家を出た。



 中天にある太陽を感じながら、俺は礼拝堂を目指して歩いている。
 冬場はどことなく寂しげな商店街も、春の到来を感じているのか、
少しずつ活気が出てきているようだ。
「よお、たっちゃん! またエステルさんのところかい?」
 八百屋のオヤジさんがいつものように話しかけてきた。
「ええ、まあ」
「ちょっと、アンタ! 野暮なことを聞くんじゃないよ。たっちゃんが
エステルさんのところに通っているのは毎日のことじゃないか」
「それもそうだな。あっはっはっは!」
 魚屋のおばさんも会話に加わって、俺を肴に楽しんでいるようだ。
 嘘ではないので否定もできないが、毎日はちょっと言いすぎじゃない
だろうか。
 それじゃあ、と挨拶をして、俺は再び歩き出した。
 弓張川の川沿いを歩いていると、そよ風が川を波立たせ、きらきらと
輝いている川面が目に入る。
 きれいだなあと思っていると、向こう側から見知った人たちが歩いて
くるのが見えた。
「エステルさん、こんにちは。今日はリースも一緒なんですね」
「こんにちは。いつもは私の言うことなど全然聞いてくれないのですが、
今日はどういうわけかおとなしく付いてきてくれました」
 エステルさんの後ろには、リースがいた。傍らには以前一緒に遊んでいた
ねこもいた。
「それでは、行きましょう」
 俺たち3人と1匹は、並んで朝霧家へと向かった。



 再び商店街に戻ってくると、遠山がアイスクリームを食べているところに
出くわした。
「あ、朝霧くん。やっほー」
 何がやっほーなんだかわからないが、遠山はずいぶんご機嫌のようだ。
「よっ。ご機嫌だな」
「それはもう。こないだ麻衣に教えてもらったんだけどさ、このアイス
ものすごっく美味しいのよ。なんだったら、ひとくち食べてみる? 
朝霧くんだったら……いいよ?」
 意味ありげな上目づかいで俺をみつめる遠山。
 ……。
 俺は何も言わずに、リースを抱えあげた。
 ぱくり。
「あー!!」
「どうだ、リース?」
「……悪くない」
「そっか、よかったな。それじゃあ行こうか」
「あー、もー、なによなによー。今日の朝霧くんはずいぶん冷たいんだー。
それはもう、このアイスのように。……さむっ!」
 ギャグは寒いが、テンションは普段よりも高いな。
 しかたない。ここは俺が折れておこう。
「ごめんごめん。お詫びにといったらなんだけど、これからうちでささやかな
催しがあるんだ。よかったら、遠山も来ないか?」
「え、いいの?」
「ああ、構わないよ。エステルさんもいいですよね」
「ええ。人数が多いほうが楽しいでしょうから」
 というわけで、遠山も急遽メンバーに加わることになった。



「ただいま」
 玄関の扉を開けると、ぱたぱたとスリッパの音を出しながら麻衣が
出迎えてくれた。
「おかえり、お兄ちゃん。それから、エステルさんにリースちゃん、
あ、遠山さんまで。みなさんいらっしゃいませ~」
 口々に挨拶を交わすと、麻衣はみんなをリビングに案内した。
 その間に俺はキッチンへ入り、ミアから道具を受け取った。
「ありがとう、ミア。仁さんはどうしてる?」
「すでに準備は整えられて、後は達哉さんが来るのを待つだけ、と
仰っておられました」
 仁さん、気合入ってるな。さすが、こういうイベントごとにかけては
力の入れようが違うな。
「そっか、じゃあ俺も行くよ。俺が家を出たら、姉さんに合図を出してくれ」
「わかりました。達哉さん、ご武運を」
「ありがとう」
 俺はミアが渡してくれた荷物を抱えて、そっと家を出た。
 さあ、いよいよ『まめまき』のはじまりだ。



 朝霧家のリビングに入ると、すでに朝霧・鷹見沢家の面々は勢ぞろい
していた。
「はい。みなさん、揃ったようですね。今日は朝霧家主催の『まめまき
パーティー』に参加していただき、まことにありがとうございます」
 頭を下げて、穂積さんが挨拶をする。どうやら、司会を務められるのは
穂積さんのようだ。
「まず、はじめに簡単に『まめまき』の歴史についてお話しましょう」
 そう言って、穂積さんが話してくれたのは、以前、達哉が教えてくれた
内容とほぼ同じだった。
 過去においては悪霊や鬼を払うというのが節分の行事だったが、近代に
なると、その過程のひとつでまめまきを行うようになったのだという。
 どうして豆が邪気や鬼を払うのかは、月人である私には少し理解できないと
思ったが、それは地球人にとっての月人居住区のように、未知のものに
対する不安などもあるのだろう。
 ふと、気付いた。達哉がいないことに。
 きょろきょろとまわりを見ていると、隣にいたフィーナ様が小声で
話しかけてきた。
「どうかしましたか、エステルさん」
「いえ……達哉が……」
 いない、と口にするのはなんだか恥ずかしかった。
「ああ」
 なるほど、といったように頷くフィーナ様。
「大丈夫ですよ。達哉なら今、準備をしている最中だと思います」
「何の準備を?」
「それは、この後のお楽しみですよ」
 と、フィーナ様はやさしく微笑んだ。
 いったい、何があるのだろうか。



「それでは、本日のメインイベント、『まめまき』をはじめたいと思います!」
 穂積さんの説明が終わると、鷹見沢さんに司会が替わり、皆を庭へ誘導した。
「はい、皆様どうぞ~」
 ミアさんと麻衣さんが、炒った大豆を入れた四角い箱(枡、というらしい)を
ひとりずつ配る。
「これが『まめまき』に使う豆です。本来なら撒いた豆を自分の数え年の
数だけ食べるんですが、さすがにそれは衛生上問題がありますので、撒く前に
ここで食べちゃいましょう♪」
 鷹見沢さんの声に従って、大豆をひとつぶ口に入れてみる。
「……素朴な味なんですね」
 香ばしい風味とともに、カリッとした歯ごたえ。決しておいしいと言える
味ではないが、どこか懐かしい味だった。
「ええ。でも、食べているうちにいつのまにか、一袋空けちゃってたり
するんですよね」
 鷹見沢さんはぱくぱくと豆を食べている。
「そして、またダイエットする羽目になるのだね、菜月は」
「翠~、それは言わない約束でしょ~」
 鷹見沢さんの嘆くような声で、笑いの渦が巻き起こった。
 ふとフィーナ様を見ると、大豆を食べることなく、じっとみつめている。
「どうかなさいましたか、フィーナ様」
「いえ、ちょっと思い出したことがあって」
 と言ってフィーナ様が話してくれたのは、大豆にまつわる思い出だった。
 なんでも、ホームステイに来た頃に、箸の扱いの特訓を大豆を使ってされた
のだそうだ。そのため、大豆を見るとその時のことを思い出すらしい。
「あの時は、まだお箸を上手く扱えなくて。それがくやしかったのでしょうね」
 と微笑みながら、フィーナ様は豆を口に入れた。



「それではみなさんお待ちかねー。鬼のみなさんの登場デース。
大きな声で呼んでみましょう! せーのっ」
「「おにーちゃーんっ」」
 鷹見沢さんと麻衣さん、遠山さんの掛け声で現れたのは、鬼の格好に扮した
達哉と鷹見沢仁さんだった。
「あの、菜月さん。仁さんがかぶっているお面がすごく怖いのですが……」
 ミアさんが震える声で呟く。
「た、確かに。ちょっと兄さん。それはちょっとやりすぎじゃないの?」
「菜月ちゃん、あまいわ。仁くんがこの類のイベントにかける情熱は半端
じゃないの。それこそ、みんなを驚かせるためなら手段を選ばない人なのよ」
 穂積さんの解説に、みんなが神妙に頷いた。
「なるほど、たとえまめまきといえど、妥協を許さないその姿勢は、ある意味
尊敬に値しますね」
 と私が言うと、リースが呟いた。
「……ただ、楽しんでるだけ」
 リースの呟きに、私以外のみんなが頷いていた。



「じゃ、じゃあ気を取り直して、鬼をやっつけちゃいましょう!
まずはフィーナから」
 菜月さんの言葉に、みんなの視線がフィーナ様に集まる。
「一番槍、ということね。わかったわ菜月。先鋒を見事果たしてみせましょう。
ミア!」
「はい、姫さま!」
 ミアさんが豆を手渡すと、フィーナ様はゆっくりと豆をつかみ、達哉と
仁さんに向かって投げつけた。
 ざざっ
「よけた?」
 麻衣さんの驚愕の声。それもそのはず。フィーナ様が投げた豆はかなりの
スピードだったにも関わらず、鬼のふたりはよけたのだ。
「ふふっ、いかにフィーナちゃんがすぐれた運動神経を持っているとしても、
まめまきにおいては僕に一日の長がある!」
 仁さんが勝ち誇ったように言う。
「っていうか、なんでまめまきの鬼が豆をよけてるんですか……」
 遠山さんがあきれて呟いた。
「決まってるじゃないか。それは……」
「当たると痛いから、よね?」
「さすがさやちゃん。僕のことをよくわかってる」
「長い付き合いですもの♪」
 と言いながら、穂積さんはおもむろに豆を投げた。
「あいててっ! ずるいよ、さやちゃん!」
「あまいわね、仁くん。おしゃべりに気を取られているからよ。その証拠に、
達哉くんはふいをついた私の豆をちゃんとよけたわ」
「姉さんとは、長い付き合いだからね」
 にやり、と達哉が笑った。



 そこから先は、乱戦だった。
 初手を外したフィーナ様も気を取り直し、着実に鬼にダメージを与えていく。
 ミアさんはフィーナ様のサポート。菜月さんは愛用のしゃもじを
カモフラージュに使いながらの巧みな攻撃。麻衣さんはデスマーチを口ずさみ、
相手がひるんだところへの攻撃。
 みんな、自分の特長を生かした方法で、鬼を攻撃している。
「いや、これ、普通のまめまきじゃないから」
 遠山さんが呆然と遠く離れたところからみつめている。
「楽しければ、それでいいんじゃないかしら」
 にこにこと微笑みながら、穂積さんが言う。
「……」
 リースはひとり、豆を黙々と食べていた。
 そして、激戦のうちに仁さんが倒れ、他のみんなの残弾もつき、達哉と
私だけが残った。
「エステルさん! あとは達哉だけです。一気に決めちゃってください」
 菜月さんの声を背に受けた私は、右手のものを握り締め、おおきく
ふりかぶって、投げた。
「おには……そとっ!!」
 かこーん、という音が響き、達哉が崩れ落ちた。
「わああっ、達哉がー」
「おにーちゃーん!」
 菜月さんと麻衣さんの叫びも、どこか遠くから聞こえる。
「勝利とは、こんなにもむなしいものなのですね……」
 たたずむ私に、フィーナ様がゆっくりと歩み寄り、ささやいた。
「エステルさん、まめまきは、枡ごと豆を投げてはいけないのですよ」
「……え?」
 達哉は、私が投げた枡を頭に受けて、目をまわしていた。



 あまい香りとふわふわな感触。やわらかでやさしくあたたかく。
「……や、…つや」
 誰かが呼んでいる。
 この感覚はもったいないけど起きなきゃな、と思った。
「達哉!」
 目を開けると、エステルさんが俺の顔を覗き込んでいた。
「おはよう、エステルさん」
「まったく……しかたのない人ですね」
 と言いながらも、エステルさんは笑ってくれた。



 起き上がろうとしたら、エステルさんに肩を掴まれ、寝かされた。
「いけません。まだ寝ていてください」
 どうして? と言う気持ちが表情に出ていたのだろう。
「達哉、頭は大丈夫ですか?」
 と、エステルさんが尋ねてきた。
 あの、その言い方はいろいろと誤解を招きそうなんですが。
 しかし、エステルさんの真剣な表情を見て、俺も茶化さずに答える。
「ええ、大丈夫ですよ」
 と。
 よかった、と呟きエステルさんは豊かな胸を撫で下ろした。
「あれ、そういえば、確かまめまきをしていませんでしたっけ」
「はい。それで、その……」
 エステルさんが言いにくそうにしていたことを聞き出してみると、
どうやら俺はエステルさんの『まめ』を受けてノックアウトされた、らしい。
 なるほど、道理で部屋で寝ているわけだ。
「すみません、わざわざ俺のために」
「いえ、謝らなければならないのは私のほうです。ごめんなさい……」
 しゅん、とうな垂れているエステルさん。
 別に怒ってはいないんだけど、そう言っても納得してくれないかもしれない。
 そう思った俺は、少し意地悪をすることにした。
「それでは、ひとつだけ俺のお願いを聞いてくれませんか?」



「ど、どうぞ」
 声が震えているのは、決して達哉がキライだからではない。それでも、
はじめてだから緊張しているのは仕方ないかもしれないが、それを
達哉に知られたくはなかった。
「いいですか、エステルさん」
 目を瞑って、こくりと頷く。
 目を閉じていても、気配で達哉が近づいてくるのがわかる。
 どくん、どくん。心臓の音。
 その音が最大限に大きくなった時、達哉の重みが伝わってきた。



 エステルさん、すごく緊張しているみたいだな。
 隠そうとしているようだけど、ぎゅっと目を瞑って耐えているところが
すごく可愛らしくて。
 俺は、少しでもエステルさんを怖がらせないように、ゆっくりと身体を
下ろしていった。



「こ、これでいいのですか。ひざまくら、というものは」
「はい。とってもいい気持ちですよ」
「あ、ありがとうございます」
 俺がお願いしたこと。それは、『エステルさんにひざまくらをしてもらう』
だった。
 普段だったら絶対こんなことはしてくれないと思うので、今日だけの特別
サービスだ。
「そういえば、私も小さい頃にひざまくらをしていただいた記憶があります」
「モーリッツさんにですか?」
「はい。あの頃は自分がしてもらう側でしたが、こうやってひざまくらを
してあげる側になるなんて思ったこともありませんでした」
 エステルさんはやさしく微笑んで、俺の頭を撫でてくれた。
 それは無意識の行為なんだろう、でもだからこそ、エステルさんが
そうしてくれたことが嬉しかった。



「達哉、今日はどうもありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそお世話になりました」
 家を出て、エステルさんを見送る。いつもは一緒に礼拝堂まで送るんだが、
今日は俺の身体を気遣って、エステルさんはひとりで帰ることになった。
 頭のことは本当に大丈夫なんだけどな……。
「それでは、みなさん、失礼いたします」
 ぺこりと頭を下げて、エステルさんは踵を返した。
「また、来てくださいね。エステルさん!」
 菜月が声をかけると、エステルさんは振り向いてこう言った。
「はい。今度は達哉にひざまくらをしてもらいますから♪」
 ちょ、ちょっとエステルさん?
「お兄ちゃん、静かだと思ったらエステルさんにそんなこと……」
「達哉くん、いくらふたりっきりでも、そういうことはまだ早いのでは
ないかしら」
 麻衣と姉さんがあきれたように呟いた。
「ふふっ、どうやら、まめまきでエステルさんと達哉の仲はより深まった
ようね」
「こういうのを、地球のことわざで、『まめまいて、じかたまる』と
言うんだよ、ミアちゃん」
「わ~、そうなんですか~」
「いや、そんなことわざありませんから……」
 仁さんのセリフに、遠山が脱力した感じでツッコミをいれた。












おわり



あとがき



PS2ゲーム「夜明け前より瑠璃色な」のSSです。
「まめまき」をエステルさんに教えたら、ということで書き始めたのですが、ずいぶん
長くなってしまいました。
そもそも、「まめまき」じゃなくなってるし(えー



それでは、また次の作品で。



��007年2月21日~3月14日 冬から春へ、そして冬へ移ろう日々♪



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