2008/07/07

「秘めたる想いをキャンバスに」(Canvas2)(竹内 麻巳)



業務報告~。
SS「秘めたる想いをキャンバスに」を追加しました。
「Canvas2」のヒロイン、竹内 麻巳のSSです。
上のリンクからでも下のリンクからでも、お好きなほうからどうぞです~。
上はいつものhtmlで、下ははてな仕様になります。





「秘めたる想いをキャンバスに」(Canvas2)(竹内 麻巳)



 梅雨らしい雨がほとんど降らないまま6月は過ぎ行き、7月最初の
部活の日。
 今日も今日とて、美術部の部室には生徒以外の姿はいない。
「まったく、あの不良教師は~」
「すみません……」
 美術部部長、竹内麻巳のぼやきを耳にした鳳仙エリスが謝る。
 エリスが謝る理由は、その不良教師がエリスの従兄の上倉浩樹だからだ。
「鳳仙さんのせいじゃないわ。悪いのは先生なんだから」
「でも、お兄ちゃん、今日は部活に出るからって約束してくれたんです
けど~…」
 エリスがそう言ったとき、無情にもチャイムの音が鳴った。
「あぅ……」
 がくりとうなだれるエリスの肩に、麻巳はやさしく触れるのだった。
「お先に失礼します。竹内部長」
「お疲れ様。鳳仙さん」
 がらがら、と扉が閉まると、美術室には麻巳ひとりになった。
「さて、と」
 ひとり呟きキャンバスの前に座ってみたが、どうにもやる気が出ない。
「これが先生がいないから、だったらどんなに楽なのかしらね。いや、
そのほうが大変かも」
「何が楽なんだ」
「何が、と言われましても……って、上倉先生!」
「おう、すまん。遅くなったな」
 すちゃっと手を挙げて謝罪する浩樹。
「遅くなったじゃないですよ。もうみんな帰ってしまいましたよ?」
「そうだな、部活も終わっている時刻だし」
「……。先生、事実を淡々と述べられるのは構いませんが、美術部部長を
任されている身としましては、遅れた理由のひとつやふたつやみっつやよっつ
ぐらい聞かせていただきたいのですが」
 ゆらり、と立ち上がった麻巳は、イーゼルを構えた。
「いやいやおちつけおちつけ! 今日はサボりじゃなくて、準備してたんだよ」
「まだみっつ理由が残っていますが、とりあえず聞いておきましょうか。
準備って、何の準備ですか?」
 構えたイーゼルを下ろしたが、麻巳の視線は厳しい。
「撫子七夕祭だよ」



 翌日。珍しく、美術室には美術部の生徒と顧問が揃っていた。
「撫子七夕祭?」
「ああ、校庭にもすでに笹が飾ってあるだろ。7月7日の当日には出店も
たくさん出て、にぎやかな祭りになるんだ」
 エリスの問いに浩樹が答える。
「それに、あの笹に願い事を書いた短冊を吊るすとよく叶うと言われているのよ」
「そうなんですか~」
 麻巳の説明に、興味深そうに笹を眺めるエリス。
「ですが先生」
「どうした竹内」
「この山のようなキャンバスは、一体全体どうしたんでしょうか?」
 見渡せば、美術室内には山と積まれた真っ白なキャンバスがそこかしこにある。
 麻巳の問いかけに浩樹はにやりと笑う。
「お前たちは美術部だ。だから、笹に願い事を書いた短冊を吊るすのではなく、
キャンバスに願い事を絵として描くんだ」
 浩樹の宣言には、美術部員全員を驚かす効果があった。
 でも、エリスの「おもしろそう~」という言葉をきっかけに、部員の気持ちは
あっという間に盛り上がり、七夕祭に向けて、それぞれの想いをキャンバスに
描き始めていく。
 しかし、皆が盛り上がる中、麻巳はひとり寂しげな微笑を浮かべて、真っ白な
キャンバスを眺めていた……。



 キャンバスをみつめたまま、静かに時が流れていく。筆を持つ手は動かない。
 ふぅ、と溜息をつくと、麻巳は愛用の絵筆を静かに置いた。
「今日も……ダメか」
 描けない時は描けない。そういうことは誰にだってある。今まで経験したことも
何度かある。だけど、どうすれば描けるようになるのかという問いに
対する答えは、少しも思い出せなかった。
「よっ、遅くまでご苦労さん」
 浩樹が部室を覗くと、麻巳は弱い微笑みを返した。
「そろそろ、終わるだろ。送ってってやるから、支度しておけよ」
「えっ、ちょっと、先せ……」
 浩樹が反応する間も与えない、というよりも、麻巳の反応が鈍かった。結局、
断れなくて一緒に帰ることになるのだった。



「すみません、わざわざ先生に送っていただくなんて」
「いや、気にするな。ちょっとおまえんちのコーヒーが飲みたくなったんだよ」
 7月とはいえ、夜の風は少し冷たい。特に会話らしい会話もなく、ふたりは
歩いていく。
 公園に差し掛かったところで、浩樹は口を開いた。
「で、部長はどうして凹んでたりするんだ?」
「……お見通し、でしたか。先生にしては鋭いですね」
「たまにはな」
 麻巳はそばにあったベンチに静かに座った。
「……私の願い事って、何なんだろうなあって思ったんです。大学に進学したい、
家の仕事を継ぐ、卒業までに先生を部活に引っ張り出す……。どれもこれも、
漠然としていて、これだって決め手がないような気がするんです」
 俯き、足元を見つめる麻巳。口に出してしまうと、なんでもないようなこと
にも思える。それでも、筆は動かないのだ。
 溜息をつく麻巳の頭に、浩樹はやさしく手を伸ばした。
「考えすぎなんだよ、おまえは。まあ、竹内らしいとは思うけどな」
 やさしく撫でながら、浩樹は続ける。
「願い事なんて、無理してひとつに絞る必要なんてないんだ。たくさんあって
当然で、どれも大切だから悩むんだろ。だったら、思いつくままに描いて
みればいい。まだカタチになってない願いも、想いも、描いてみることで
見えてくるものがあるかもしれない」
 描いて描いて、描き続けて、はじめて気が付く願いもある。
届かない願いも……。
「描かないっていうのも、ひとつの選択肢ではあるが、俺なら描くよ。だって、
そっちのほうが……楽しいだろ?」
 いつになくやさしい浩樹の行動に、麻巳はどきっとした。
「ふふ、先生らしいですね。そういう考え方は」
「だろ? 絵っていうのは、楽しんで描くのが一番だ。見てくれる人のことを
考えて描くこともあれば、自分の想いを伝えたくて描くこともな」
 麻巳の頭をくしゃくしゃっと撫でて、浩樹は立ち上がった。
「んじゃ、暗くなってきたし、そろそろ帰るとするか」
 そう言って、浩樹は踵を返す。
「あ、あの、うちにお寄りになられるんじゃなかったんですか」
「あー、そのつもりだったんだが、あまり欠食児童を待たせると、後が怖いん
でな。悪いが今日は帰ることにするよ。おっと、家の前まで送って欲しいなら、
そうするが?」
「……いえ、大丈夫です、ここまでで。送っていただきまして、それから……
とにかく、どうもありがとうございました」
 深々と頭を下げる麻巳。
 片手を挙げて、歩いていく浩樹。そんな浩樹を見つめつつ、麻巳はもう一度
声をかけた。
「先生も、撫子七夕祭には絵を描かれるんですよね!」
「……そうだな。年に一度の七夕だからな。だって、そのほうが……」
「「楽しいから!」」
 ふたりの笑い声が、夜の公園できれいに重なった。



 撫子七夕祭当日。
 校庭はたくさんの出店で賑わっており、中央に設置された笹飾りの
スペースには、たくさんの短冊にたくさんの願いが綴られている。
 そしてその片隅には、撫子学園美術部による小さな展覧会も開かれていた。
「うわあ、本当にすごいね~」
 エリスは浩樹を伴って、出店を回っている。両手はすでに食べ物でいっぱいだ。
「ああ、おまえの胃袋は、まったくすごいとしか言いようがないな」
「きゃっ、誉められちゃった♪」
「誉めたつもりはないんだがなー……」
 苦笑する浩樹に、エリスはにこにこ笑顔を向ける。
「だって、こんなにもたくさんの願いがここにあるんだよ? 一年に一度の
逢瀬に切なる願いを託す……、とってもロマンティックなことだと思うと、
もう嬉しくって」
 楽しそうに笑うエリス。エリスだけではない、ここにいるすべての人が、
微笑んでいる。祭りってのは、こうやってみんなで楽しむものだよなと、
浩樹は思った。
「そういや、エリス。おまえはどんな絵を描いたんだ」
「私はね~、あ、これだよ。お兄ちゃんとの結婚式~」
「なっ!」
 エリスの絵は、一組のカップルの結婚式の風景だった。ただ、新郎の顔も
新婦の顔も、はっきりとは描かれていなかったが。
「おまえなあ、あんまり脅かさないように」
「えへへ、ごめんなさい。でもね、幸せな結婚式ってのは、女の子にとっての
素敵な夢だと思うんだ」
 確かにエリスの言うとおりで、エリスの絵はどちらかというと女の子が
足を止めて見ている割合が多いような感じだった。
「さすがは鳳仙さんね。楽しそうな気持ちがよく伝わってくるわ」
「あ、竹内部長。ありがとうございます♪」
 ぺこりと頭を下げるエリス。
「よっ、竹内も見に来たか」
「ええ。先生が部活にいらっしゃらないから、探しに来たんです。……と
言いたいところですが、今日くらいはお祭りを楽しもうかと思いまして」
「そうそう、それでいいんだ。世の中なんでも楽しんだもの勝ちだからな」
「先生がおっしゃると、すごく説得力がありますよね……」
 軽く溜息をつく麻巳だった。
「そういえば、竹内部長の作品はまだ見てないんですけど、どちらにあるん
ですか?」
「俺もまだ見てないな」
「こっちです。でも、見たらびっくりするんじゃないかしら」
 思わせぶりな言葉を呟きつつ、ふたりを案内する。きっと、先生も鳳仙さんも
驚くはずだ。だって、描いた当人の私も驚いたのだから。
「これって、私たち……ですか?」
「ええ、我が撫子学園の美術部よ。みんなでキャンバスに向かっている
風景を描いたの」
「……」
 上倉先生はじっと私の絵をみつめている。
「どうかされましたか、上倉先生」
「いや、こういうこともあるんだなーと思ってな」
「そうですね。さすがの麻巳ちゃんもびっくりですよ」
「……むー、なんかふたりだけで分かり合っちゃってるー。どういうことなの、
お兄ちゃん!!」
 鳳仙さんが、顔をぷんすかさせて上倉先生に詰め寄った。
「エリス、俺の絵はもう見たか」
「ううん、まだ。……えっ! お兄ちゃんも描いてたの?」
「まるで俺が描いてはいけないような口ぶりなんだが、描いたんだよ」
 事前に知っていた私はともかく、鳳仙さんも先生が描くとは思って
いなかったのだろう。
「えー、どこどこ、どこにあるの~……あっ、これだ!」
 鳳仙さんは、さすがの嗅覚と言うべきか、一直線に上倉先生の作品を
見つけ出した。
「これって……、これも私たちだよね?」
「そうだ。我が撫子学園の美術部、だな。願い事と言っても、俺はまあ、
それなりに満たされてるからな、これからも今みたいに過ごしていければ、
それでいいさ」
 なるほど、先生はそういう考えだったんだ。
「じゃあ、竹内部長は? 何か欲しいものとかなかったんですか」
 鳳仙さんの問いかけに対する答え。数日前は持っていなかったけど、
今の私はちゃんと自分の答えを持っている。
「もちろん、たくさんあるわ。ありすぎて困ったっていうほうが近いかな。
だからね、まずは一番身近な願いを考えてみたの。そうして描いてみたら、
この絵が出来てたのよ」
 毎日の美術部活動、ちゃらんぽらんだけど、不思議と教え方の上手い先生が
いて、天才と言われる元気な女の子がいて、みんなにぎやかで、楽しく
過ごせる時間。そんな時間を、大切に思ったから。
「竹内らしい、と言うとおまえは怒るかもしれないが、丁寧で伸び伸びと
していて、すごく良い絵だな。さすがは俺の教え子だな」
「なんだか最後のセリフが少しだけ引っかかりますが、ここは素直に
ありがとうございますと言っておきましょう」
「おうおう、人間素直が一番だ。きっと、いずれいい人が見つかるだろう……って、
いて、どうして引っ張るんだ、エリス!」
「なんか、お兄ちゃんと部長が仲良くしててくやしいから! それじゃ竹内部長、
失礼します」
 ぷんぷん怒った鳳仙さんは、上倉先生を引きずっていった。まあ、彼女が怒る
のも無理はないと思うけど。
 でも、先生が言ったのは偶然なんだろうか。……まさかね、わかるわけは
ないと思うんだけど。
 上倉先生が教えてくれたように、私は思いつくままに絵を描いた。だから、
この絵にはもうひとつの私の願いも秘められていた。
 それは、作品の中のキャンバスに向かっている私の絵だ。小さいけど、
他の誰にもわからないだろうけど、まぎれもない私の願いが、そこには
描いてあった。
 それは、偶然にも鳳仙さんが描いた内容と同じで、大切な人といつか
迎えるであろう、結婚式のシーンを。
 相手は……目一杯譲歩して、ちゃらんぽらんな人でもいいかな、なんて
思いながら。












 おわり



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