2008/07/12

(ぷちSS)「親子の休日」(FORTUNE ARTERIAL)(千堂 伽耶&瑛里華)



 小鳥のさえずる声で目が覚めた。
 七月に入り、日の出が早くなってきている。この時間帯なら、まだ
暑さよりも涼しさを感じられるだろう。ま、あたしは暑さなど気には
しないが。
 布団をそっと出て、隣に寝ている少女を見る。名は瑛里華。娘だ。
 ずいぶんと気持ちよさそうに眠っているので、時間までは寝かせて
おいてやろう。だが、時間になればちゃんと起こしてやる。それが、
母親としての役目だ。



 時間だ。
「瑛里華。朝だぞ」
 ゆさゆさと揺すると、うう~んと言いながら、うるさそうに
あたしの手を跳ね除ける。
「瑛里華。朝だ」
 再度、揺する。反応は同じ、いや、むしろ嫌がり具合が大きく
なった。もう少し寝ていたいということだろうか。
 しばらく考えたが、甘やかすのは母親としては間違っているの
だろう。なので、ここはあれを使うことにしよう。
 あたしは、『あれ』を取りに台所に向かった。






 朝。
 まだ目は開けてないけど、感覚でわかる。決して夢なんかじゃなく、
目さえ開けば自分は覚醒する。でも、このまま寝続けることが、
休日に許された贅沢のひとつだ。
 と、普段ならそのまま眠りの国へ戻るところだったのに、謎の
気配がそれを妨げた。
 殺気!
 考えるよりも早く身体を捻ると、ばすんという音が聞こえた。
 何事かと音の方向を見ると、枕にはフライパンが埋まっていた。
「起きたか、瑛里華」
 それを持っていたのは、母様。名を伽耶という。
「起きるわよ! 何持ってんのよ、母様は!」
「見ての通り、フライパンだ」
「私が聞きたいのは、どうしてフライパンを枕に叩きつけている
のか、ということなんですけど」
 憐れみの目で私を見つめる母様。
「お前、『目覚めはおたまとフライパン』ということわざを
知らぬのか」
「……はあ?」
「伊織のやつが言うておったのだ。起きないやつは、フライパンで
マジ殴りだと。それが天池のやり方だそうだ」
 にこにこと笑う母様。
 ああ、この人に悪気なんてないんだな、と、私は思った。
 そして、兄さんにはお仕置きが必要ね、と、私は思った。



 私は母様からフライパンをもらい、朝食の準備をはじめた。
 以前は、食事は母親の務めだと言い張っていたが、三食全部
作らせるのはまだ早いので、朝食は私、昼食は母様、そして夕食は
二人でという取り決めが出来た。
 というか、そうせざるを得なかった。250年という年月を
重ねていても、母様が母親になったのは、つい最近のことなのだから。






 朝食が終わると同時に、昼食の準備に取り掛かる。
 不愉快ではあるが、それぐらい時間は掛かるということだ。
屈辱的なことではあるが、瑛里華の助けを借りて、その時間なのだ。
 しかし、瑛里華は嫌な顔ひとつせずに、教えてくれる。我が娘
ながら、よくできた娘だ。本人には、言えぬがな。
「ほら、母様。包丁を使う時は、指は丸めてないと危ないでしょ」
「お、おう、そうだったな」
 こんなやりとりも、家族の風景というやつだろう。



「ど、どうだ?」
 作った昼食を瑛里華が食べるときは、いつも緊張する。我ながら
情けないとは思うが、
「うん、美味しくできてるわよ、母様」
 と瑛里華が言ってくれた時は、母親として、少しは成長できたと
思ってもいいだろうか。






 昼食の後は、ゆったりと過ごす。会話があるときもあれば、
ない時もある。初めのころは緊張していたけど、今では落ち着いた
時間が過ごせている。
「母様。お茶を淹れましょうか」
「ああ、頼む」
 台所に立ち、茶葉の用意をする。自分ひとりのときは紅茶を
愛飲しているが、千堂の家では日本茶を飲むようにしている。
 白に教わったように淹れているのだが、母様によるとまだ上達の
余地は残されているということらしい。
 でも、母様はいつも、
「美味いな」
 と言ってくれる。



 あたしは、どう償えばいいのだろうな。
 母様から、時々そんな話を聞くことがある。
 過去の行いが決して許されるべきものではないことは、母様も
実感しているのだろう。
 当時は、自分の気の向くままに、それこそ思い通りにやって
きたのだ。兄さんと仲が悪くなったのも、私とうまくいかなかった
のも、東儀家の人々を好きにしてきたのも、全部母様の我がままと
いう人もいるだろう。
 失ったものは取り戻せない。
 でも、あらたに築きあげることはできる。
 まだまだ不完全ではあるけど、私たちは家族として歩き出して
いる。兄さんも、時々は顔を出しているようだ。
 だから、きっと東儀家の人々とも、少しずつわかりあえて
いけるはず……。
 これは家族だからこその身内びいきになるのだろうけれど。






 瑛里華や、時には伊織も帰ってきてくれる。征一郎も白も桐葉も、
それから支倉も顔を出してくれる。
 あれだけ長い間、好き放題やってきたのだ。それなのに、
こんなにあたしは幸せでいいのだろうか。
 消せない過去、犯した罪。
 あたしには時間がある。長い時間をかけて、ゆっくりと返して
いけばいい。
 そう言ってくれる瑛里華。
 あたしは瑛里華が淹れてくれたお茶を飲みながら、いつも
そのことを考えるのだ。



「では、そろそろ寝るとしようか」
 夕食を済ませ、湯浴みを済ませ、布団の準備を整える。
 これは全部二人の作業だ。
 家族として支えあう。当たり前のことが当たり前になるように。
「母様。明日はフライパンで起こさないでよ」
「ああ、努力する」
「努力じゃなくて、やめてください」
「しょうがないやつだな」
「しょうがないのは母様でしょ! いえ、この場合は兄さんに
なるのかしら」
「そうだな、伊織のせいだ」
 二人で笑いあった。






 おわり



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